2012年10月3日水曜日

<からだの座学>あきゅらいず美養品 社会環境活動:宮内俊宏さん

<からだの座学>あきゅらいず美養品 社会環境活動:宮内俊宏さん
 舞台芸術の学校(P.A.I.)2期が9月からスタートしました!<からだの座学>ももちろん展開してゆきます。

今期1発目の座学におこしいただいたのは、あきゅらいず美養品の宮内俊宏さん。

あきゅらいず美養品は「美しさをカタチづくるのではなく美を養うことからはじめよう」
ということで2003年からスタートしたスキンケアの会社です。学長小池の率いたパパ・タラフマラのファイナルフェスティバルより現在に至るまで、あらゆる形での応援、サポート、共作活動を頂いております。その中で展開される「森の楽校」で”社会環境活動”という取り組みをされていらっしゃるのが、本日お越しいただきました宮内俊宏さんです。

社会環境活動とはなんでしょうか?宮内さんは講義のなかで、みんな生き苦しくない?という言葉と共に、「日本の社会環境悪化の原因を究明し改善してゆこう」と言う活動だと説明してくださいました! P.A.I.生一同、なるほどです。

今回は”トーキングオーバー”という手法を使って座学を展開していこうということになりました。トーキングオーバーとは直訳すると「語り合う」という意味。そこに
talk over (a cup of) teaと加わると「お茶をのみながらだらだら話す」という意味合いになります。今回も、お茶をみんなで飲みながら、1つのテーマについて話を進めることに!
そのテーマとはズバリ「アートとは何ぞや?」でした。

 核心を突いた命題に多少びびりつつも、それぞれ思い思いにアートについて語ってゆくみんな。自分の生活に引き寄せた意見や、いままでまったく意識したことがなかったという意見も。場を創ることや、古典芸能について、芸術との距離について考える言葉も交わされました。
 そのなかで「芸術、という言葉はそもそも外来語では?」という話になり、宮内さんにレクチャーして頂くことに。

日本の芸術という言葉は、そもそもギリシャ文明からやって来たアルテス リベラーレスを語源にもつ【リベラルアート】を、明治時代に西あまねが和訳(造語)して【芸術】となったのだそうです。おそらく、現代で“一般的に”とらえられる【芸術】という言葉と、語源からたどる本来的な意味合いでの芸術は、どうも差異が生じて来ているようにも感じられました。

 また、社会とアートの接点についてという方向にも話は転がりました。
1930年代にアメリカで実施された「フェデラルアートプロジェクト」 に話が及び、世界大恐慌時代と現代を重ね合わせてのレクチャーは、本当に鬼気迫るものがありました。

接点はそれぞれですが、現代を、そしてこれからの時代をアートと関わりながら生きていきたいと考えるP.A.I.生たちも、本音をぶつけ合います。
「美大出身ですとかいうと、クリエイティブ系だねーとか言われて、クリエイティブ系ってなんだよ!とか思う。」
「“舞台は社会の鏡である”という言葉を以前耳にしたことがあり、それを実践するためにPAIに来た。」「社会に(世界に)押しつぶされそうになることがよくある。」
「それは、今の社会の構造や環境に改善すべきところがあるのではないか。」
「他の文化圏ではどのようにしてアートは生きているのか。」
「伝統芸能には一つの道具的役割として、目に見えない補完環境を生み出すという側面がある。」
などなど・・すべては書ききれませんが、溢れる思いや、考え、感じたことを語り合ってゆきました。


いま自分のいる場所で、自分の生きる方法を探ること、そしてあらゆる領域をこえてゆこうとすること。また、それを可能とする社会を、一人一人が能動的に築き上げてゆこうとすること。それこそが自分のやりたいことと、生きることを近づけられる唯一の方法であると、確信した2時間。


そんなことを感じ合える場を創造出来たこと、これこそが「社会環境活動」 なのだろうと実感し、2時間前よりも少し強く、逞しくなれたPAI生達なのでした!


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